2010年



ーーー9/7ーーー グループ展終わる


 先週の金曜から4日間、松本で木工のグループ展があった。2年ごとに行なわれて、今回が3回目。私は前回からの参加で、2回目である。

 県内の木工界の重鎮と言われる作家を含め15人のメンバーで構成されるこの展示会は、木工品、木工家具、漆、竹工芸など、広いジャンルに渡る内容となっている。会場も松本市内の、普段から観光客や買い物客が集まる場所にあるので、多くの来場者を迎えた。作り手の集団が、それこそ手作りで企画・運営している展示会としては、かなり盛大なものと言えるだろう。

 生業としてやっているわけだから、成果が問われるのは当然の事である。私自身としては、前回よりも大きな売り上げがあった。その点では、嬉しい結果となった。しかし、4日間を振り返ってみると、いささか寂しい面もあった。その一つは、私の展示会場における、来場者の反応の低さである。

 私一人でやっている個展ではないから、別のジャンルの品物を目当てに来ている人もいるだろう。そのような人の場合は、反応が低くても仕方ない。さらに、木工家具に関心がある人でも、私の作品に興味を感じないケースもあるだろう。自分が強い思い入れで製作し、誇りを持って出品している作品であるが、世間の人がそんな事に対して一切関心が無くても不思議ではない。こちらの思い通りには、事は運ばないものだ。それは分かっている。しかし、実際に目の前を、無反応な人の列が通り過ぎていくのを見るのは、辛く寂しい時間である。

 その一方で、ごく一部の方が掛けてくれた言葉には、重いものがあった。こういう場は面白いもので、両極端が存在するようだ。無関心な人がいる一方で、たいへん造詣が深い人もいる。物作りに関心があり、そういう方面の知識を持っている人は、核心を突いた意見を述べる。発言が、物作りの精神や文化にまで発展することもある。そういう話になると、楽しい。作品に囲まれた空間だからこそ、味わい深い言葉が飛び出すようにも思われた。

 ある人が言った、「大竹さんの場合もそうだが、物作りという行為は伝説を残す事だと思う。こういう素晴らしい仕事をしていた人がいたのだという伝説が、作品と共に後世に引き継がれていく。それは貴重な事ですよ。物作りで蔵を建てた人なんかいないけれど、イイじゃないですか、伝説を残せるんだから」。そしてこう続けた、「その伝説が、どのタイミングで世間に評価されるか。あなたが生きている間か、それとも居なくなった後か。できれば、ご家族の生活のプラスになるようなタイミングで評価されれば良いのですがね」



ーーー9/14−−− お船祭り


 毎年9月には、地元の神社で秋祭りがある。都会と違って、お祭りは他人事ではない。町内会に入会した住民は、自動的に氏子となる。我が家のように、外から越してきた者も、例外ではない。氏子となっているからには、行事に関わる義務が生じる。寄付や労務提供が求められる。

 この神社を氏神様としているのは、戸数326を抱える「区」と呼ばれる組織。その区の中に、16ヶの町内会があり、各町内会をさらに細かく分ける班の班長を、五軒組長と呼ぶ。その五軒組長が実働部隊となって、祭りの準備と片付けをする。ちなみに我が家が所属する町内会は、38件の世帯から成っており、6つの班に分かれている。

 安曇野穂高地域の秋祭りは、お船祭りとも呼ばれる。神社はいくつもあるが、規模の大小はあれ、同じようなスタイルの祭りを行なう。船の形に作られた山車にお囃子が乗り込み、住民に引かれて町内を巡り、神社まで行進をする。その船は、毎年祭りの前に五軒組長らが協同して作るのだが、これがなかなかの大仕事である。

 船の構造は、まず木製の車が付いた台車に長い丸太を固定して骨組みとする。そこまでは、決められた部材を毎年使い回す。その骨組みに、当日山から切り出した「なる」という細い木を曲げながら縛りつけ、網目状にして船体の曲面を作る。最後に紅白の幕を巻き、提灯や松の枝で飾りつけをし、武者人形を乗せて出来上がり。人形は、穂高周辺の人形保存会が制作したもので、これは借用する。

 船の製作と飾りつけは、祭りの一週間前の土曜日一日と、祭り当日の午前中に行なう。今年は、4日が一週間前の作業日だった。作業にあたる人員は、町会長、五軒組長など全員で70名ほどのはずだが、都合により出てこない人もいて、実際は50名くらいだったか。

 こういう作業は、言わば伝統的な行事であり、作業手順などが明文化されているわけではない。作業を統括する人もおらず、要領を知っている人が周りの者を巻き込んで、「いつも通り」という感じで、勝手に進めていく。中には、声が大きく、荒っぽい物言いで、周囲を辟易させる猛者もいる。持ち回りの役目で参加している集団だから、初めての人や、不慣れな人もいる。そういう人が、こっぴどく叱られ、なじられる。自発的ではないにしろ、無償のボランティア活動なのだから、もっと楽しい雰囲気でやったら良いのにと、私などは思ってしまう。まあ、このようなピリピリとした緊張感によって、作業の能率と、安全が図られるという面もあるかも知れないが。
 
 11日の祭り当日。昼までに船の飾りつけは終了する。夕方、子供のお囃子が船に乗り込む。今年は26人ということだった。この日のために、二週間くらい前から、夜公民館に集まって、笛や太鼓の練習をしてきたはずだ。我が家の子が小学生の頃はそうだった。地域の子供たちにとっては、楽しい思い出になる行事だと思う。

 定刻になると、船が動き出す。船のわきで押したり、ロープで引いたりするのは、ほとんどが揃いの法被を着た五軒組長などの役員である。以前は、子供の親など一般住民が群がって、船の運行に協力したものだった。今回は人手が少なく、数年前と比べる私の目には、船が動くか心配になるくらいだった。




 それでも滞りなくお船祭りは終了した。翌日の昼過ぎ、また集まって、船の解体作業を行なった。一日半かけて作られた船は、一時間ちょっとで姿を消した。全てが終わった後、公民館に集合して、慰労会が開催された。作業が終ると帰ってしまった人が多く、慰労会には空席が目立った。その席で、あるベテランの口から、祭りの参加者、特に船を引く人の少なさに関して、不満の言葉が漏れた。

 

 





 




 農村と都会では、祭りの意味が違う。私が幼年期を過ごした都心の街では、秋祭りは娯楽イベントの感覚だった。神社の長い参道の端から端まで並ぶ、膨大な数の夜店。参道を埋め尽くす群集。大人も子供も、異様な活気に興奮したものだった。神輿なども出て、ぶつかり合いのシーンも見られたが、どういう人がそれに加わっていたのかは分からない。一般住民は、祭りの寄付を求められることも無かったと思う。一部を除いては、住人は当事者ではなく、観客であった。

 現在住んでいる地域は、外からの住人が増えてきたとはいえ、基本的に農村地帯である。五穀豊穣を祈る神社の存在は、日常的な信仰の実態は別としても、地域に密着した意味合いが強い。地域に住んでいれば、それだけで神社に関わることを義務付けられる。それは、都会から越してきた者にとっては、多少の違和感として映ることもある。町内会活動が、神社の行事と絡んでいることを理由に、拒否感を表明する人もいる。町内活動に行政が費用の補助を出しており、その費用の一部が神社行事に回されていることに対して、裁判沙汰になったケースも、全国にはある。

 人口構成が変われば、地域の性格も変化していく。町内会という地域の社会組織が、神社の行事とセットになっているのは、もはや難しいように思う。とはいえ、神社の維持管理や、お祭りなどの行事を、篤志家に委ねるというのは、この地域においてはまだ、事実上不可能な事か。













ーーー9/21−−− ヒョウタン・アート


 今年は久しぶりにヒョウタンを植えた。以前は、毎夏栽培した。と言っても私がではない。中学から高校にかけて、息子はヒョウタン栽培に熱中していた。ヒョウタンは世界各地にあるようだが、腰にくびれがある可愛らしい形ものは、日本産の特徴だと聞いたことがある。その当時息子は、「世界に日本のヒョウタンを広めたい。ボクの夢は、エッフェル塔を千成ビョウタンで飾ることだ」などと言っていた。



今年の出来はさんざんで、たった2ヶしか採れなかった(右の画像)。


先日、息子が夏休みで帰省した。ヒョウタンの話になると、子供部屋から、以前作った作品を持ってきた。

 ヒョウタンは、収穫した後先端のツルが付いていた部分に穴を開け、水に漬けて内部を腐らせる。そして穴から種などの中身を取り出し、乾燥させて製品となる。製品と言っても、さしたる用途は無い。昔なら、水や酒を入れる容器、あるいは半割りにして水を汲む道具にしたのだろうが、現代ではもっぱら観賞用である。息子は、ヒョウタンにアクリル絵の具で模様を描くことを思いついた。それが彼のヒョウタン・アートである。










 以下に、その作品を紹介しよう。

 あらかじめ断っておくが、ヒョウタンはその特異な立体的形状に魅力がある。特に腰のくびれ。そこをどう扱うかが重要なポイントになる。画像ではそれが十分には伝わらないのが残念である。














ルオーの絵のような雰囲気

































水玉模様のあどけなさ。遠い記憶のようなイメージ


































上から見ると、同心円状の模様がおもしろい


































漆芸を思わせる、和風な雰囲気

































ずんぐりとした形と細かい模様が、中東のモスクを連想させる


































蜘蛛の巣のパターン


































世界地図を塗り分けしているようだ

































暗闇にうかぶ淡い光のような、幽玄な趣


































ステンドグラスのパターンだが、色の少なさが独特の雰囲気


































アポロ宇宙船を丸くしたような形































これだけは、漆工芸家に黒漆を塗ってもらった。

いびつな形がなんとも艶かしく、色っぽい

何とはなしに、「清兵衛と瓢箪」を思い出した













 

 こうして見ると、当時の熱中さがうかがえる。栽培だけでも、失敗する可能性はある。収穫して、製品化するまでには、手間がかかる。ヒョウタン作りに熱中する子供など、ちよっと珍しい。

 ともあれ、ヒョウタン・アートは面白い。自然物の立体に、絵を描くわけだが、素材の形がユニークだ。そして、微妙に異なる形に合わせて図柄を決めるところなど、なかなか味がある。ところが、息子のヒョウタン・アートは、これらの作品だけで終わってしまった。大学へ進み、家を離れたので、栽培ができなくなった。大学構内に植えることも考えたらしいが、上手くいかなかったらしい。今となっては、思い出話のヒョウタン・アートである。



ーーー9/28−−− 人間ドック


 先週、人間ドックなるものを受けた。会社員時代は、受けたことがあったような気もするが、はっきり覚えてはいない。自営になってからは、初めてである。

 会社勤めの頃は、定期的に健康診断があり、義務的に受けさせられた。自営になると、そういった環境がなくなるから、自分から申し込まない限り、受ける機会はない。行政が行なう、胃のバリウム、胸部レントゲン、大腸癌検査などの定期健診はある。引っ越してきた当初は、そのような検診を受けたが、そのうち面倒になって止めてしまった。かくして、ここ十数年間、健康診断というものを一切受けていなかった。

 実は、開業して5年ほど経ったとき、大きな患いを経験したことがある。頻繁に風邪をひくようになり、しばしば医者へ行った。「あなたはよく風邪をひくね」などと、医者が感心するほどであった。そのうち、少し大きく動くと息切れがするようになった。感心しているだけの町医者ではらちが明かないと思い、松本の総合病院へ行った。診断は気管支炎だった。

 その時は、ひどく脅された。このまま放っておけば、5年以内に酸素吸入をしなければ生活できなくなると言われた。私はタバコを吸わないが、もしタバコをやったら命取りになるとも言われた。肺のレントゲン写真では、白い部分が大きく広がっていた。肺活量や、血液中の酸素量も、悪い値だった。肺の機能が、健常者の半分程度に落ちているとのことだった。どうりで息切れがしたわけだ。

 原因は、副鼻腔から気管支へかけてのアレルギー体質に、木工作業の粉塵が悪影響を及ぼしたためだと言われた。埃が付いて粘膜がやられると、細菌が取り付き易くなる。それが気管支炎にまで発展したとのこと。しばしば風邪をひいたのは、細菌に犯されやすい状態になっていたからだ。肺の状態が良くなるまで入院をしたが、結局一ヶ月ほどをベッドの上で過ごした。

 退院した後も通院を重ね、薬を飲み続けた。粉塵を吸わないよう、作業をする際は必ずマスクを着用することにした。幸いなことに、一年ほどで全快した。健康を取り戻したことは有り難かったが、この病気を境にして、体重が増えた。退院して暫くの間飲酒を控えた為、食べ過ぎる傾向になり、その時増えた体重が現在まで続いている。

 その後の健康状態は良好だったと言えよう。風邪は、1998年の冬以来ひいていない。職業柄腰痛には悩まされるが、内臓のトラブルは無い。昔は腹を下すことが多かったが、さいきんはそれも無くなった。数年前から眩暈が出るようになったが、これは年齢的なものだから仕方ないだろう。ちなみに、脳に関してはCTとMRIを受けたことがあるが、異常なしだった。

 体に異常を感じないから、健康診断も受けない。そんな状況が十数年続いた。私はそんな事に無頓着であるが、家内は心配していたようだ。少なくとも、肝臓はやられているのではないかと言った。私は日常的にけっこう酒を飲むので、肝臓にきているはずだと。

 以前は、そのように言われても、無視していた。しかし今回は折れて、人間ドックを申し込んだ。受診する人には、市から補助が出る。検査費用37000円に対して25000円の補助だから馬鹿にならない。こういう補助が、国保税を押し上げている可能性もあるが、病気が早期に発見されれば、医療費の軽減に繋がるのかも知れない。

 結果は問題無しだった。コレステロールの値が若干高く、肝臓に多少の脂肪が付いているが、気にするほどの事は無いと。心配した肝機能は、全く正常だった。私が、「大量に酒を飲むので気に掛かってました」と言うと、ドクターは「肝臓が強いんでしょうね」と言った。昔病んだ肺も、レントゲンの映像は黒々としていた。肺活量も問題無しだった。

 ドクターから説明を聞いた後、別の場所で保健師からアドバイスを受けた。面白いもので、同じ検査結果に対して、ドクターの言い方と、保健師の言い方に違いがある。ドクターは「大丈夫だ」と言い、保健師は「注意しなさい」と言う。ドクターの仕事は病気を治すことであり、保健師の仕事は病気を防ぐことだから、違いが出るのだろうか。

 元々気が進まなかったことだから、「健康に問題ありません」と聞くと、検査費用を損した気持ちになった。しかしまあ、これで家内が安心するなら良いだろうと、自分を納得させた。


 この夏に登山を共にした友人は、私が人間ドックを受けることを話したら、「お前は絶対に健康だ。でなければ、あんなに山に登れるはずがない」と言った。その予言が的中した形になった。たしかに、心肺機能の正常さは、登山が証明している。逆に、登山のために行なっているトレーニングが、体を丈夫にしているとも言えるだろう。もっとも、軽く脂肪肝の傾向があるということだから、あれでも運動不足なのかも知れないが。

 それにしても、この結果に慢心して、酒の量が増えてしまっては、本末転倒であり、何のための検査か分からない。
















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